これから始まる高知情報ポータルサイト
高知が大好き! 元気サイト
もっともっとTOSA[Home] > 地域に根ざした文化と歴史 高知県西部 応援(*^^)v「はた博」 > 日本初の留学生、ジョン万次郎〜生家
登録カテゴリ:地域に根ざした文化と歴史 高知県西部 応援(*^^)v「はた博」
[ライター:華]投稿:2011年07月03日
高知県は東西に長〜い県です。
東に室戸、西に足摺。
で、いよいよ今回は足摺方面を取材しよう。(パチパチパチ)
と言ってもこれが又、高知市から結構距離がある為、市内に住んでる私達も、「ちょっと行って来ま〜す」とはいかず、やっぱり一泊二日となる訳で・・。
以前来たのは、はるか30数年前。(古すぎ)
土佐清水といえば、私的には、清水さばとジョン万次郎、そして足摺岬。
2010年10月に完成した、ジョン万次郎生家(復元)にぜひ行ってみたいと言う事で、生誕地である中浜(なかのはま)に行って来ました。
時は幕末、14歳のとき漁に出た万次郎は、足摺沖で台風に遭い、漂流。
アメリカの捕鯨船に助けられ、その後数奇な運命をたどり、無事日本に帰国。
万次郎が、アメリカで得た西洋の知識が、その後の日本の開国に多大な影響を及ぼしていく事はご存知の通りです。
直接、維新に関わった訳ではないけれど、新たな日本の夜明けに、確かにジョン万次郎の存在はあった・・・。彼もまた、時代が呼んだと言うにふさわしい、人物だったように思えます。
その万次郎の生家があるのは、小さな漁師町で、宗田節(メジカ節)の製造が盛んらしく、地区に数件ある工場から、いい匂いが辺りに立ち込めていました。
普通に暮らしている家の間の路地を、案内板に従い進んでいくと、真新しい茅葺の平屋が、突然現れます。
途中、挨拶を交わしたおじさんが後からやってきて、親切に案内してくれました。(ありがとうございました)
中を覗くと、生活感あふれる道具類があり、土間を除けば、6畳一間の間取りです。復元するに当たって、元となった当時の写真がありました。
この家で、14年間暮らしたんだな〜。
本人も後々日本初の国際人になるなんて、この家で暮らしていた時は、思ってもみなかっただろうに。
人生、何が起こるか解らない、だから面白いのかも(笑)
とにかく、特別な場所に建てられた記念館ではなく、住宅の中にあって、「この前まで住んでたけど、今ちょっと空き家」的な感じに、親しみを感じました。
中も自由に見ることが出来ますが、外に出るときは必ず戸を閉めて下さいね。
万次郎のお母さんからの伝言です(笑)